「住む」ということは、文化的な生活を最低限送るためにも必要なことです。どこかで「暮らす」ということは、生活の基盤を作ることでもあります。

私たちはみんな「住所」を持っています。生きていくために最低限必要な要素です。よくテレビで「住所不定」などと言われたりしますが、それは最低限度の社会的、生活的な基盤を確保していないということになり、社会的な「信用」が得られないという状態を指します。人はどのように生きようと自由ですが、やはり社会の中で暮らしているのですから、ある程度は「人並み」に整えておかなければいけないこともあります。そのひとつとして「住所」があり、「どこで暮らしているのか」ということは最低限、その人の身元を特定できる要素なのです。私たちはさまざまな身分証明書を持っていますが、そこにも必ず住所が記されていて、さらにその情報は市区町村のデータにも掲載されています。「どこで暮らしている、誰々です」ということ自体が、一種の信用なのです。

そのように「暮らす」ために必要なものは、「住居」です。「住むところ」そのものです。そこがその人の生活の基盤であり、何をするにも基準に考えなければいけない場所です。そして、その住居にはさまざまな形態があります。ある範囲の土地を所有し、そこに家を建てる戸建て住宅は、その典型です。これはどの地域でもある光景で、成人して社会人になると自分の「持ち家」を建てることがひとつの目標になったりもします。ひとつの住所を自分とその家族で専有するカタチになり、確固とした「住んでいるところ」ということになります。

都心などでは誰もが戸建の住宅を持つということが難しいので、次に挙げられるのが「集合住宅」です。いわゆるマンションやアパートというものです。これらの集合住宅はピンからキリまであり、「購入」するような場合は何千万円もの金額を分割で支払っていくカタチになります。いわゆる「億ション」といわれるような高級な物件もあり、ひとつのステータスであったりもするのです。

そして、「購入する」以外の選択肢として「賃貸」が挙げられます。マンションやアパートを「借りる」ということです。比較的若い世代や学生の頃などはこの方法が一般的ではないでしょうか。その物件を、期間を区切りつつ借りること、その対価として「家賃」を支払うことは、ごく一般的な形態です。「購入」すると「ローン」になります。住宅ローンはいまや誰もが背負う時代ではありますが、もしかすると引っ越すかもしれないというような状態で「ローン」を背負うのは避けたいということもあるでしょう。そのような時は「月々の家賃」を支払う「賃貸」が一番手軽で妥当なスタイルです。「自分のもの」ではなくてもそこに「住んでいる」ということは変わらず、確固たる生活の基盤として確立できるものです。「いろいろなところに住みたい」という人や、「ローンが嫌だ」という人などはそのように賃貸住宅に暮らしているケースが多いものです。どこにどのようにして暮らすのかは私たちの自由であり、誰にも制限されることではありません。そして、そこにどのようなスタイルで暮らすのかも私たちの自由なのです。