その住まいは「借りている」ということ

賃貸住宅で暮らしている場合、その物件を「借りている」ということになり、それには「オーナー」がいるものです。オーナーは自分が所有している物件を整備しながら、不動産屋を会してそれを人に貸しているのです。

私たちがそのような物件で暮らす場合、その物件を「借りる」必要があります。賃貸契約を結び、そこで一定期間暮らすという取り決めをするのです。そして月々の家賃を支払っていくのです。そこで暮らす限りその家賃を支払い続ける必要がありますが、実は「住宅を購入した場合」でも月々のローン返済は同じようなものです。さらには不動産には「税金」がかかるものですから、「購入」してしまうと別に税金も発生するのです。

購入したとしても、借りていたとしても、実は「住まい」に月々避けるお金というものはそんなに変わらないものです。私たちの収入には限りがあり、誰もが限られた給与の中でやりくりして生きています。それはその人の境遇にもよりますし、運もあるでしょう。私たちはそれぞれ自分の仕事を持ち、毎月の収入を得て暮らしているのです。その中から住宅費に充てられる費用というものには、限度があるものでしょう。

ただ、賃貸の場合はその住まいは「大家」のものです。住んでいる人は「借りている」という状態であることに変わりはなく、大家にとっては毎月家賃を納めてくれる「お客さん」であり、またその物件全体が「どんな人が住んでいるのか」ということを構成するひとつの重要な要素でもあります。「どのような住人がいるのか」ということは、実はその物件の性質を決める重要な要素でもあるのです。何気なく暮らしているつもりでも、「どんな人がいるのか」という見方はされているものと考えましょう。それはなぜかというと、その物件が満室でない場合、まだ入居者を募集している場合、他にも入居者を募る必要があります。それは継続的な試みになりますし、チラシを撒いたから集まるというわけでもありません。それは「タイミング」です。

そのような「貸す」必要がある場合に、「借りよう」と考えている人が「そこにはどのような人が住んでいるのか」ということを気にするのです。それは当たり前のことです。「子ども」がいるような世帯の場合はなるべく子どもに優しい環境で暮らしたいと考えるでしょうし、単身者の場合はそのような人が多い世帯で暮らすことを考えるでしょう。それぞれ重視したいことが違い、それぞれに適した住宅があるのです。

そこで「暮らす」ということは、その住宅のひとつの「構成要素」になるということでもあります。「ただ借りているからなんでもいい」というわけではありません。大家によっては「このような人限定」という募集のしかたをしている場合もあり、また、入居時に住む人全員の顔写真を要求する大家さんもいるほどです。「暮らす」ということは地に足をつけるということでもあります。簡単には転居できない状態になったりするわけですから、自分がどのような生き方をしたいのか、どのようなライフスタイルを実践したいのか、そのためにはどのような物件が合うのかということを考えて部屋探しをした方がいいのではないでしょうか。