借りていても自分の「住まい」

賃貸とはいえ、その住所は当面あなたの「所在地」です。あなたがそこにいる証はさまざまな局面で必要です。ですから、「仮の住まい」とは思わない方が良いかもしれません。

「世帯」を抱えた人、つまり「世帯主」であれば、その住所に自分の世帯と共に暮らすことになります。一家の代表として、自分、あるいは伴侶の収入も併せて、そこでキリモリしていくことになります。その住居が賃貸であっても、購入したものであっても、それは変わりません。生きるためには稼ぎが必要で、日々お金を消費していることに変わりはないのです。それらを考えたときに、賃貸だから、持ち家だからという差は何もないはずです。

そしてそこに「住む」ということは、その「地域」を構成するひとつの要素になるということです。閑静な住宅街なのであれば、「閑静」である土地柄の一部になるのです。地域はそこに住むすべての人が共有して、ともに作り上げていくものです。「自治体」や「自治会」は、その地域を「言葉」で体現しようとすることでもあります。地域に参画することは強制ではないものの、必要なことなのです。「社会」とは、誰かと関わることそのものです。道ですれ違う人も、隣の部屋に住む人も、社会の一部であり、それらの人と会釈を交わすこと自体が、「社会」をつくり上げることでもあります。

地域や社会、実態がないようで確実にそこにある、参画しているそれらの「集合体」は、ときには自分にとって厳しかったり、馴染めなかったりするものかもしれません。そこに迎合するのか、それとも反発するのか自由なのかもしれませんが、「自分が住みたいからそこで暮らす」、「自分が気に入っている場所だから大切にする」ということのひとつひとつが積み重なって、それらの共同体は成立しているのです。それを自覚すること、肌で感じることが、「地域に溶けこむ」ということでもあります。

自分だけで生きているのではないということ。関わるすべての人が自分と同じようにさまざまなことを考えているのだということ、自分だけがよければ良いのではないということ、自分が守るべき「家族」も、自分の行動や言動、選択に紐付いているということを自覚すべきです。仕事をして、疲れた心身を癒すために帰る先、自分の生活の拠点。住居はそういうものです。そして、誰もが同じ拠点として住居を構えているのです。私たちはそれらのことを意識しつつ、自分や家族の将来に希望を持って生きているのです。「自分が、自分の家族だけが」ということではなく、その地域で暮らすすべての人がひとしく安らげるような地域にすべきです。

そこに長く住んでいても、まだ転居して浅くても、同じ地域を構成する人であることに変わりはありません。等しく責任を負っています。そこでの振る舞いやマナー自体が、その地域を決めるのです。それが「地域柄」をつくり上げるのです。賃貸で一時的に住んでいるだけだとしても、その地域に対して誇れるような姿勢でいる必要があります。「誰も見ていない、誰も知らないはず」ということではありません。ゴミ出しのマナー、地域で大切にしているイベントなど、自分が暮らしている場所のことを深く知ることも、時には必要なのではないでしょうか。そのようにして私たちはその地域に溶け込んでいくのです。