暮らさないとわからないこともある

世の中にはさまざまな物件があります。戸建ての賃貸物件もあります。アパートもあります。広さもピンからキリまであります。それらの物件を探すときは、自分の新しい生活を想像して心が弾む思いでしょう。

ですが、「実際」となると、イメージしきれないことが沢山あります。実際にそこに住んでみて、暮らしてみて、初めてわかることが沢山あるのです。それらはほんの些細なことかもしれません。近くに全然コンビニがない、ちょっとしたモノや食料を調達するめには遠いスーパーまで行かなければいけないということや、広い道に面していてとても想像しいということ、一年の一度の地域の催事の際には住居の前に人が溢れかえってまともに生活ができないとなどということも考えられるのです。

それらは転居する際には全然思い浮かばないことでもあるかもしれません。実際にそこで生活してみて、初めてわかることは案外沢山あるものなのです。自身の際の耐震性にどことなく不安を感じたり、たまたまそこだけ地盤が弱かったりなどということは、実際に災害が起きてみないとわからないことなのです。そのようなことの数々は、暮らしてみて馴れるしかないことであります。実際に事が起こってみて、初めて「ここは揺れる場所だ」とわかるものなのです。

いくらシミュレーションしてみても、どれだけ計算してみても、「実際」がその通りになるとは限りません。閑静だと思っていたのに車の通りが激しく、騒がしい。夜になると軽犯罪が多発している。妙な新興宗教の本部が近くにある等、想定されるリスクは挙げればキリがありません。それでも「どこかに住む」必要があるのです。気に入る場所が見つかるまで、何度も転居を繰り返すわけにはいかないのです。それが私たちの実際であり、現実です。

周辺環境には近隣の住民も含まれます。若い人が多い、家族が多い、なぜか外国人が多いなど、あらゆる可能性が考えられるのです。そしてその「地域」が持つ独特の雰囲気は、一度や二度訪れるだけでは掴みきれません。暮らしてみて初めて、そこに暮らし続ける人々の独特な雰囲気や習慣などがわかるものなのです。「住む」ということは額面以上に、自分の生活や精神面を左右することです。ただそこで寝食を行えばいいというわけではありません。休日には散策するかもしれません。窓の外の風景に心を癒されるかもしれません。そのような何気ないことのひとつひとつを司るのが「場所」なのです。

理想の住まい、理想の生活というものは誰でも思い描くことではあるでしょう。ですがそれらは簡単には実現できることではないですし、時が遷り変われば必要になることも多々あるものです。自分がどのような暮らしがしたいのか、自分がどのように生きていきたいのか、具体的にイメージし過ぎると、願望を持ちすぎると、それと現実の乖離自体が「ストレス」になる可能性もあるのです。そのようなことになっては、せっかく選んだ自分の住まいがキライになってしまうかもしれません。それでは意味がないのです。生活自体が色あせてしまうのです。そのようなことにならないために、その「地域」のことをある程度受け入れることは必要なのではないでしょうか。