同じ物件の住人はどんな人か

その物件を構成する要素は、家賃や広さ、駅からの距離や近隣の商店、環境だけではありません。「そこに住んでいる人」も重要な要素であることを忘れないようにしたいものです。

そこの「住人」という「要素」は、ある意味制御できない要素です。どのような人が住んでいるのか、どのような人がそこにいて、どのような生活を送っているのかは重要な要素です。そして、内見の際にはわからなかったりすることかもしれません。昨今の賃貸住宅では、ある程度「大家さん」がそれを制御していることもあります。大家さんが「学生だけ」であるとか「女性だけ」という具合に入居者を制限していることがあるのです。そのような場合は「そこには学生しか住んでいない」ということであるとか、「女性限定の物件だ」ということが最初からわかっているのです。

ただ、そのような「縛り」がない場合、誰でもそこに住めるということになっているかもしれません。「家賃」だけでその境遇を計ることはできません。人によって境遇はマチマチで、人によって価値観が違い、「別に住まいにこだわる必要はない」と考えているかもしれません。いわゆる高収入の人が安い物件に住んでいるということも大いにあり得ます。それはある意味「分からない」ことなのです。

最近は他人に対して必要以上に警戒する時代です。少し素性がわからない人がいれば、「得体の知れない人がいる」ということになるでしょう。少しあやしいと感じただけで、「不審だ」という捉え方をするものです。人の真理として、自分がよく知らない相手に対しては冷淡になるものです。少し打ち解けた場合は、なぜか必要以上に礼節を大切にし、さらに打ち解けた場合は逆に気を使わなくなるものなのです。「近所付き合い」という言葉がありますが、賃貸住宅ではそれが特に希薄です。それは「ずっとそこにいるわけではない」ということが前提として挙げられるからかもしれません。

ずっと同じ場所に住むという状態であれば、例えば家を購入したり、マンションを購入したりすれば、転売する可能性がゼロではないにしても「そこに住み続ける」ことが大前提となります。そうなれば近隣の住民の方とはしっかりと関わりを持とうと考えるのです。ただ、賃貸物件の場合は「借りているからいつかは転居する」ということになるかもしれません。そうなると、近隣の方も同じ状況であり、特段関わりを持つ必要はないと考えるかもしれません。だからあまり知ろうとしない、知りたくもないのかもしれません。

そのような心理がどこかにあるので、特段隣近所とは関わりを持たず、また、こちらに対しても関わりを持ってほしくないと考えるのかもしれません。だからこそ、隣近所がどんな方なのかを少しでも知っておきたいのかもしれません。少しでも知っておくことで、関わりがなくても安心できると考えるのかもしれません。その物件は単身者が多いのか、若い方が多いのか、その物件は世帯が多いのか、小さな子どもが多いのか、気になるのです。特に関わりを持たないとしても、それが気になってしまうのです。

不思議なものです。どのような人が住んでいるのかは気になるけれど、特段関わりを持ちたくないのが今の私たちなのです。